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東京駅ー3

引き続き、
東京駅、見物した感想を書きます。



この駅が「百選」に選ばれるのは当たり前すぎて考えた事がありませんでした。
このプレートは丸の内中央改札口より駅に入り、丸の内南口改札口に向かう
通路の途中右側壁にあります。
今回の改装でつけたのでしょう、ピカピカでした。

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丸の内のドームを見上げています。
創建時の八角形の天井と鷲の彫刻のある「折り上げ天井」は戦災によって焼失
しましたが、今回、創建時の衣装に忠実に復元されました。
下の写真でお分かりのように、ドームの周りには回廊があります

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丸の内のドームは上部に回廊があり、登ることができます。

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回廊の上からドームの下を見たところです。
このドーム一階、右手前改札口のすぐわきに、首相遭難現場を示すプレートがあります。

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原敬首相の遭難現場のプレートです。
大正10年11月4日平民宰相で名高い原敬首相が京都に向かう際に
暴漢に担当で襲われた現場です。
ただ、ここで何とも不思議と言おうか、偶然にも前に貼った浜口首相の遭難現場の写真を覚えていますか
「11月4日と14日」なのです。

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ここが動輪広場です、この動輪は買って東海道線で活躍した蒸気機関車のC62の動輪で
直径は1750mmあります。
今回東京駅が復元されましたので動輪の前に駅の模型が飾ってありました。
この場所は丸の内北口を出て地下に入り右手に歩いて行きます、ここも目立つところで
すぐにわかります。



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by a7617 | 2012-11-15 08:33

東京駅ー2

東京駅
引き続き、見物した場所を載せます。


これは開業当時のホームの支柱です。
5,6番線(山手線、京浜東北線)の横濱方面にあります。
この色なので遠くからすぐにわかります。
当時からあったものなのか、今回の修復で取り付けた物なのかは不明です。
はっきりしませんが、以前はなかったような気がします。

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東京駅の待ち合わせ場所と言えばここ「銀の鈴広場です」が今回、分かったのですが
四代目だそうです。
場所は地下中央通路を八重洲方向に進み、左右に新幹線改札口があるところです。

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銀の鈴広場から八重洲方向をみてすぐ左に「仲間の像」があります。
驚いたことに、この像は木彫りだそうです。
撫でまわして確かめたかったのですが、できませんでした。

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仲間の像を正面から見てすぐ左の柱に昭和5年11月14日に岡山で行われる
陸軍特別大演習、参観のため、特急燕に向かってホームを歩いていたところを
狙撃、暗殺された浜口首相の遭難現場があります。

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by a7617 | 2012-11-14 09:04

東京駅-1

日本の首都、東京の表玄関「東京駅」
明治41年(1908年)に着工し大正3年(1914年)に開業しました。
数々の歴史の場面を見てきた東京駅、関東大震災の被害もほとんどなく昭和20年の戦災で
焼けましたが平成24年10月に復元工事が終了しました。
平成15年(2003年)に国の重要文化財に指定されています。

良い機会なのでこの際東京駅の中にある、興味を見った場所を見物して来ました。
よく利用しているのに、意外と知らない見逃しているところがあるのです。


復元された姿です、見慣れた三角型のドームが丸型にになりました。
これは北ドームです、いい形ですねー

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東京駅と刻まれて石碑です。この石碑を囲むように正面玄関の御車寄せがあります。
大勢の観光客がここで記念写真を撮っていました。

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今回の工事で三階部分の外壁の復元をしましたが、
戦後二階部分についていた「イオニア式」の「柱頭」部分を当初の三階部分移設しました。
この場所は、正面の目立つ所にありますからすぐにわかります。

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北ドーム(正面から見て左側)を下から見上げました。
この写真ではわかりにくいですが、実に綺麗で立派に復元されています。
鷲の彫刻、花飾りレリーフ、干支のレリーフがあります。

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東京発の列車の0キロ標識(ゼロキロポスト)です。
これは中央線のものですが確認はしませんでしたが、新幹線のものもあるはずです。
ホームに行けばすぐに見えます、機会が有ったら見てください。

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これは東海道線のゼロキロポストです。
向かい側のホームから見たために反対側になっています。

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以後、順次見物場所を貼っていきます。
by a7617 | 2012-11-13 09:40

岡目八目

これは当事者よりもそこからはなれたところから事態を眺めている“第三者”の方が情勢を客観的に見る事が出来る、と言う心理を表している。
人間関係についても同じことが言えると思う。
仲間同士で揉め事があった場合事態を冷静に見ていた者が、一言口を挟みと二人とも納得すると言う場合がある。
対人関係で悩んでいる人に良く在るのが「自分は周りから理解されていない」「自分の事は誰も判らず
自分しかわからない」と言う言い方である。
この事を良く聞いてみると、それが自分の思い違い、思い込みに過ぎなかったり、意地を張っていただけと言う場合が良くある。
そのことに気付くために何が必要か・・・。
もう一人の自分を意識することが必要ではないでしょうか。
つまり自分と相手の関係を“第三者の立場”で見ると言う目を養うのである。
そうすると今まで気づかなかった自分のわがまま、思い込み、相手に対する甘え、等が客観的に見えてくる。
更には自分の別な一面や、意外な長所にも気が付くことになる。
嫌な相手も実際はかってに相手の像を作り上げていたのかもしれない。
私が尊敬する対人関係の高い人は、自分を冷静に見る目、つまり「もう一人の自分」をうまく
作っていける人である。
「自分の事は自分が一番よく知っている」という思い込みをいったん止めて「外」に出てみることも
大事なことだと思う。




大師公園「瀋秀園」

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by a7617 | 2012-11-12 16:22

何にもできない

最近何かがやりたいが、何をしたいのかわからないと言う若者が多いと聞いた。
そんな事が在るのだろうかと、思う。
どうして自分で自分が何をしたいのかわからないのだろう。
不思議でならないが、良く考えてみると「人間が贅沢になった」からだと思う。
何かをする、やりたいと考えることは何かを捨てると言う事なのである。
人間は常に矛盾した考えを持って居る。
そして現代は大変な可能性に恵まれて時代である。
極端な話、庶民のセガレが「総理大臣」になることだって可能なのである。
江戸時代に庶民のセガレが大名になるなど考えることもできなかったろう。
その可能性こそが自分が何をしたいのかをわからなくさせている。
江戸時代のように一つの可能性しかなければ他の事はあきらめる。
しかし現代はあきらめることを強制させられない、だからこそ迷ってしまうのであろう。
一つの可能性を選び他の可能性を捨てていくことこそが大事なのであろうが、
現代の人間にはそれが出来ない。
食いたいだけ食って痩せたいと言う女の欲望こそが現代人の本能であろう。
痩せたいのなら食べたいものを我慢しなければいけないのに、食べたいのも本当、
痩せたいのも本当なのである。
そして両方捨てられないためにフラストレーションに落ち行ってイライラしている。

最後に、
偉そうなことを言ったが、これは私自身の事であることを付け加えておく。




中二の孫が、かわいがっている猫を面白半分に描きました。
その辺りに、ほってあったのでなくすといけないと思い
貰ってきて額に入れ飾りました。
水彩画で、大きさは37×53センチです
爺バカですが、がよくかけていると思いませんか。

出かけるたびに「ダッコ、ダッコ」と言っていたのが
あっという間にこんなに成長してくれました。


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by a7617 | 2012-11-11 10:31

有楽町で逢いましょう



この歌が流行したのは昭和33年ころで、私が中学生の時ですが当時「有楽町」という場所に行ったことが
まだなく同級生に聞いたら「つまらない、こ汚い所だよ」と返されました。
その後、この駅で友人と何回か待ち合わせをした思い出の場所になりました。
フランク永井さんは、とても歌の上手い方だっただけに、ああいう事故があったのはとても残念でした。

この碑は有楽町の交番のそばにあり、うっかりすると見逃します。
道路を挟んで向かい側に「ここに数寄屋橋があった」という碑もあります。


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by a7617 | 2012-11-09 10:20

菅生沼

川崎市民アカデミー みどり学Ⅰ
屋外学習で茨城県坂東市 菅生沼の散策と茨城自然博物館の見学に行ってきました。

見学日当日は、話にならないような大雨でしたが午後に雨は止み、それなりに
楽しい一日を過ごすことができました。
いつもお世話していただいている、スッタッフの皆さんお世話になりました。


雨の中の「一言主神社」立派なお社でした。

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境内にあったスダシイの木、大きな空洞があり、かなり古い木です。
スダシイの木は木工材料としては使い物にならないため、このように
古い木が残ったらしいです。

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菊花展が行われていましたが、この懸崖、面白い形ですね。
懸崖、このつくり方は静岡県から流行ってきたらしく、
この形は静岡県の形をしているとか。

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茨城県立博物館、あまりに立派なのでびっくりしました。

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着いてすぐに食事でした、美味しかったよ。

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茨城県にも「ナウマン象」がいたそうです。
これは牙と奥歯です。

そのほかにたくさんの、珍しい展示品がありました。

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大きな恐竜の模型でここは待ち合わせ場所になっています。
あまりに大きく、全部は映しこむことはできません。

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聴講生に展示品の説明をする「石井誠治」先生。

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ようやく雨も上がりました。
沼というより、雨上がりのせいか流れもありむしろ川に見えました。

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博物館から菅生沼に降りる階段の途中にこんなプレートがありました。
良くは判りませんが我々が見た水面より3~5mくらい上にありました。

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by a7617 | 2012-11-08 08:50

二宮尊徳遺跡の地散策 その4

さらに、二宮家の菩提寺「善栄寺」に向かいます。





このお寺が、尊徳一族のお墓のある善栄寺です。

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境内に入るとマタマタ金次郎少年の勉学の像があります。

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持っている手習い帳にはこんな文字が書いてありました。
「おともなく香もなくつねに天地は書かざる経を繰り返しつつ」
この碑文は二宮尊徳道歌で、曽孫、二宮四郎氏の揮毫である。
銅像製作者は、鋳金家 四代目 慶寺丹長氏であると説明がありました。

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思いがけずに「巴御前」の墓があったのには驚きましたが、巴御前と言えば木曽義仲の
愛妾で女性ながら鎧をまとって戦場に出たと、いう話を聞きました。

この真偽はともかくとして、木曽義仲と和田義盛、両先夫の菩提を弔うためにこの寺を
建立したといいます。
納得。

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長野県木曽郡の博物館に銅像があります
左側が巴御前です。
HPからお借りしました。

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北条氏康夫人の墓。
この方がこのお寺を再建されたそうです。

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二宮家一族の墓です。
ここには尊徳の父母、兄弟、尊徳夫妻の墓があります。
尊徳は日光で1856年安政3年に没しましたが、遺体は今市の如来時に葬られましたが
遺髪と遺歯を
善栄寺に持ち帰って埋葬したそうです。
右の奥が二宮家の墓です。

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真中の墓が尊徳夫妻の墓です。

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善栄寺から歩いて数分のところに二宮総本家の跡地があります。
初代の二宮伊右衛門が、永正年間(北条早雲のころ)ここに土着し、以後一族が多数の分家になって
繁栄しました。

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これで二宮尊徳遺跡の地、散策を終わります。
最後まで見ていただき有り難うございました。
by a7617 | 2012-11-05 10:42

二宮尊徳遺跡の地散策 その3

さらに尊徳遺跡の地の見学に進みます。


捨苗栽培地跡の隣に尊徳の遺徳を忍んで学習田がありました。

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説明版です。

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捨苗栽培地から小田急の踏切を渡って5分ほど歩いたところに油菜栽培地跡の碑があります。
伯父の万兵衛宅に身を寄せていた尊徳は、夜間の勉学に必要な菜種油の消費を心配して一握りの菜種を分けてもらい、余暇に仙了川の堤に接する砂地に蒔きました。翌年7升(126リットル)ほどの菜種を得、これを1升5合(2,7リットル)の菜種油に変えて夜間の勉学に備える事が出来ました。
捨苗と菜種栽培体験から「小を積んで大を為す」と言う自然の理を悟りました。
前方に報徳小学校が見えます。

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この川、仙了川にかかる橋の名前も「油菜橋」です。

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ここから後ろ捨苗栽培地方向を振り返るといま渡ってきた踏切が、電車の二両目付近に見えます
小田原方面行のロマンスカーが走っていきました。

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この場所の見学を終え、二宮家の菩提寺「善栄寺」に向かいます。
by a7617 | 2012-11-04 08:45

二宮尊徳遺跡の地散策 その2

尊徳記念館、展示品です。



展示の様子。

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砂書き用手文庫と習字手本ですが良く保存してあったなと感心しますね。

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二宮尊徳の使っていた草鞋ですが大きいですね。
長さ28㎝ 幅が9.5㎝です。

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当時の有名な画家の描いた尊徳の画像。

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別の画家の描いた肖像画ですが、ずいぶんと雰囲気が違いますね。

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これを寄付した方がいました。
記念館の中に展示してあります。

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記念館のなかの見学を終わり付近の遺跡の見学に行きました。

尊徳の生家の隣に二宮万兵衛の家があります。
尊徳の父、利右衛門は万兵衛の弟です。
尊徳16歳、一家離散の時この家に身を寄せました。
もちろん当時の家はありません、子孫の方が住んでおられます。
庭に大きな欅の古木が有りました。

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万兵衛宅の道路を隔てた向かい側に捨苗栽培跡があります。

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捨苗栽培跡地
尊徳17歳の初夏、田植えの時期に捨てられたうえ残りの苗(捨苗)自分の所有地だった荒れ地の水たまりに植え、1俵のモミを収穫しました。それをもとに翌年は5俵の米を収穫する事が出来ました。
今は小さな公園になっています。
公園の先の方の山は箱根の金時山方向です。

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説明版です。

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by a7617 | 2012-11-03 12:33