日常のこと


by a7617

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かわさき学 まち歩き 3/3

かわさき学 まち歩き 三回 

「旧平間道からガス橋を渡り、~新田義興伝説を探る」



新田神社。

祭神は新田義興。
新田義興は新田義貞の二男で、数々の武功を立てましたが義貞の死後も南朝方の有力武将として知られた。
足利方は謀略をめぐらし、新田義興は主従13騎でこの地矢口渡で棚仕打ちに遭った。

その後義興公の怨念が「光り物」となって、
矢口付近に夜々現われ、往来の人々を悩ました。
そこで義興公の御霊を鎮めるために、村老等によって墳墓が築かれて
社祠が建てられ、『新田大明神』として広く崇め奉られました。
これが新田神社の起こりです。

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ご神木と拝殿。

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ご神木を横から見ました。

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参道に在った大鳥居は本殿裏手のこの中にありますが、良く見えません

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義興公墳墓

社殿裏手に直径10メートルほどの古墳があるが義興公墳墓だとする伝承が残る。

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新田大明神道標。

これは現在の第二国道沿いに建てられていたもので、文化14年(1817年)四月に
麻布日下部講中によって再建されて新田神社柄への道しるべです。

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新田神君の碑。

大田区指定有形文化財
大田区に数少ない江戸期の記念碑として注目される。

延享三年(1746年)に石城国(福島県)守山藩主、水戸徳川の支流である
松平頼寛が造立した碑で、新田神社の祭神、新田義興公の事績と神社創建の由来を記している。

ワイドレンズで撮っていますので形がおかしいですが
実際はきれいな長方形です。

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神社に良くある力石。

一つの重さが180~240kgもあり、持ち上げた石に重量や姓名などを刻んで奉納した。

力比べの行事は娯楽の面だけでなく力石の多くが神社の境内にあることからして
本来は神事儀礼でありまた重い石を持ちあげること事により一人前として社会に
認められた当時の通過儀礼のひとつであった。

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うなる狛犬。
謀略を企てた足利基氏家臣の畠山一族の者、またその血縁者、末裔が新田神社付近に
来ると決まって雨が降り、この狛犬がうなったという。
残念ながら、戦災で行ったが壊れてしまった。

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新田神社を後にして、歩いていたらこんなモニュメントが有りました。
なぜここに羊が??

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十寄神社。

じゅっき、とよせともいう。
古くは十騎明神、十騎者と呼ばれた。
十騎(じゅっき)が、十寄(じゅっき)となり、「とよせ」とよばれるようになったのかな?
延文三年(1358年)に矢口渡で討ち死にした新田義興の従者12人を祭ってあります。
ただ十二騎を祀ってあるのに「十騎」となぜつけられてのか不思議です。

新田神社にお願い事が在り参詣するときにはまず初めに十騎明神に詣でてからにせよと言われている。
始めに新田神社にお参りしてしまうと願い事は成就しないと言われています。

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拝殿の裏にあるご神木、銀杏 雷にあたって避けていました。

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十寄神社を参拝後
延命寺/に向かいました。



境内に入ってすぐ左側、このお地蔵さんのいきさつがわかりません。

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焼け残った、延命地蔵尊??だと思いますが。
この中にありました。

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客殿。

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かわさき学 まち歩き  
「旧平間道からガス橋を渡り、~新田義興伝説を探る
ここまで見ていただき有り難う。

三回目を書きかけて、長い事置いておきました。
訪問していただだきました皆様、ごめんなさい。
by a7617 | 2014-05-19 07:20