日常のこと
by a7617
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二宮尊徳 ゆかりの地を訪ねて
表題のような散策会に参加してみた。
どのような見学、散策にも言えると思うが「予備知識」がないと
何が何やら「チンプンカンプン」で話が、わかりませんでしたが
しかし
二宮金次郎の事が少しでもわかったことで「ヨシ」としました。
小田原駅西口広場にある「北条早雲」の像。
小田原城の天守閣。
報徳博物館
小田原藩の家老近藤外記の屋敷跡です。
金次郎が服部家の中元として仕えていた時、当家の若様が儒学宿・孤嶺館に通うときお供をして
外記屋敷前の小峰坂を通った。金次郎は時々外記から本を借りて読んだという。
また金次郎は、学習塾から帰った若様に、習ってきたことを復習教えてあげたと言われています。
お付の者は座敷には入れないが先生の講義の声は聞こえたらしいです。
館内にあった金次郎の像
二宮少年勉学の像です
館内にあった二宮尊徳の等身大の蝋人形。
二宮尊徳は身長180cm、体重94Kgの偉丈夫だったそうです。
館内の様子、さほど大きなところではありません。
ちなみに入館料金は200円でした。
館内に展示してあった一円札、我々の年代の方はご記憶があるでしょう。
報徳二宮神社、駿河、伊豆、相模、甲斐、遠江、三河6ッか国の報徳社が発起。
明治27年完成。
左側に立っている報徳二宮神社のと書いてある柱は関東大地震で折れたため
中に鉄筋を入れてつないだそうですが、中の鉄筋がさびて、折れ部分から
錆がにじんできています。
報徳神社にある、二宮金次郎、少年の像。
昭和三年、昭和天皇の即位の大礼記念として神戸の中村直吉が寄進したもので
製作者は 三代目 慶寺円長 材質はブロンズ その後此れと同じ像が全国の
小学校などに一千対制作されたが戦時中すべてが供出に合い現在残っているものは
これ一体です。なおこの像は当時のメートル法普及の意図を反映して、ちょうど一メートル
の高さに制作されている。
漢方薬、「ういろう」
小田原城より立派です
小田原市内にあったマンホールのふた。
小田原市曽我谷津にあった私小説家、尾崎一雄の旧宅のうち主催部分を移築
文学遺産として保存していました。
北条氏政、氏照の墓
右の大きいのが氏政夫人の墓
中央が氏政の墓、左が氏照の墓。
手前の平らな石が氏政、氏照がここで切腹した石。
お寺の参道の途中にあった魚や。
左側の日よけブラインドが出ているのが店ですが、表通りからかなり脇に
入ったところに在りました、不思議な店ですがこの日も営業していました。
最後に小田原駅東口の金次郎像を見に行きましたら、なんとこのありさま。
破損したので修理しているそうです。
この像がそうです、小田原駅口コミ情報からお借りしました。
長々、見ていただき有り難うございました。
どのような見学、散策にも言えると思うが「予備知識」がないと
何が何やら「チンプンカンプン」で話が、わかりませんでしたが
しかし
二宮金次郎の事が少しでもわかったことで「ヨシ」としました。
小田原駅西口広場にある「北条早雲」の像。
小田原城の天守閣。
報徳博物館
小田原藩の家老近藤外記の屋敷跡です。
金次郎が服部家の中元として仕えていた時、当家の若様が儒学宿・孤嶺館に通うときお供をして
外記屋敷前の小峰坂を通った。金次郎は時々外記から本を借りて読んだという。
また金次郎は、学習塾から帰った若様に、習ってきたことを復習教えてあげたと言われています。
お付の者は座敷には入れないが先生の講義の声は聞こえたらしいです。
館内にあった金次郎の像
二宮少年勉学の像です
館内にあった二宮尊徳の等身大の蝋人形。
二宮尊徳は身長180cm、体重94Kgの偉丈夫だったそうです。
館内の様子、さほど大きなところではありません。
ちなみに入館料金は200円でした。
館内に展示してあった一円札、我々の年代の方はご記憶があるでしょう。
報徳二宮神社、駿河、伊豆、相模、甲斐、遠江、三河6ッか国の報徳社が発起。
明治27年完成。
左側に立っている報徳二宮神社のと書いてある柱は関東大地震で折れたため
中に鉄筋を入れてつないだそうですが、中の鉄筋がさびて、折れ部分から
錆がにじんできています。
報徳神社にある、二宮金次郎、少年の像。
昭和三年、昭和天皇の即位の大礼記念として神戸の中村直吉が寄進したもので
製作者は 三代目 慶寺円長 材質はブロンズ その後此れと同じ像が全国の
小学校などに一千対制作されたが戦時中すべてが供出に合い現在残っているものは
これ一体です。なおこの像は当時のメートル法普及の意図を反映して、ちょうど一メートル
の高さに制作されている。
漢方薬、「ういろう」
小田原城より立派です
小田原市内にあったマンホールのふた。
小田原市曽我谷津にあった私小説家、尾崎一雄の旧宅のうち主催部分を移築
文学遺産として保存していました。
北条氏政、氏照の墓
右の大きいのが氏政夫人の墓
中央が氏政の墓、左が氏照の墓。
手前の平らな石が氏政、氏照がここで切腹した石。
お寺の参道の途中にあった魚や。
左側の日よけブラインドが出ているのが店ですが、表通りからかなり脇に
入ったところに在りました、不思議な店ですがこの日も営業していました。
最後に小田原駅東口の金次郎像を見に行きましたら、なんとこのありさま。
破損したので修理しているそうです。
この像がそうです、小田原駅口コミ情報からお借りしました。
長々、見ていただき有り難うございました。
by a7617
| 2012-10-23 11:19