日常のこと


by a7617

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分を知ること

「幸福とは何か」
幸福な状態を考えることはできても幸福とは何か?
これは答えるのが難しいと思う。
誰からも答えを聞いたことがない。
そうならば「不幸とは何か」、それは幸福ではないことさ。
これでは堂々巡りで答えにならない。
それでは人はどんなときに「不幸だと」感じるのだろう。
それは、本来の自分のあるべき姿を描いているからだろうね。
ところが現実の自分はそうなっていないと感じたところから不幸が始まる。
平たく言えば不幸は不幸単独では存在しないのだから。
自分は「こう言う風にあるべき」だと感じとの差から生じる。
病気になって不幸だと感じるのは、本来自分は健康で
あるべきだと思っているからである。
おれは貧乏人だから不幸だと感じるのは、本来自分は金持ちだと思っている事から来る。
それではどの程度の健康体なら幸せなのだろうか、
またどの程度の金持ちなら幸せに感じるのだろうか。
つまり、今手持ちの金が10万円の人が居る。
10万円も持っているからこれで良い、と感じる人と10万円では不足だ
金は100万円無ければだめだという人も居る。
ここから「分を知る」という考えが出てくる。
つまり「こうあるべき」という設定をあまり大きく欲張ってしまうのが
幸せを感じないことのひとつの原因に為っているのかもしれない。
足の一本くらい無くたって、松葉杖を使って動けるから「幸せ」と思っている人も
居るだろうし、貯金など無くったって毎日何とか餓えずに過ごしているから「幸せ」
だと思っている人も居るでしょうし。
こう有るべきだ、という設定を途方も無く遠方において「不幸だ」と苦しむことは
考え直した方がいいかもしれない。
最近聞いた話。
足の不自由で松葉杖を使っている女の子に「何が不自由ですか」と聞いたら、
「デートの時、手をつなげないことよ」と明るく答えたといいます。
感動したね。

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by a7617 | 2009-10-02 15:57