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1972年

今年はあさま山荘事件から40年たったという。
此の項目だけでも、読みでがあります。
もうこんないやな事件は起こるまいと思っていたら「オウム真理教事件」が起きてしまった。

この1972年に起きた主な出来事を見ると、こんなこともありました。



お花の自動販売機を始めてみました。

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by a7617 | 2012-02-28 17:46

旧前田侯爵邸

うっすらと雪の降った翌日「旧 前田侯爵邸」を見学してきました。
邸内の部屋全体は焦点距離の短いレンズでないと撮れません。
4ないし5枚連続で撮ってワイド写真にしてみました。

三脚を使わずに手持ちで撮ったために画面が上下にずれて作った写真の
「縦横比」が一枚ずつ違ったり、直線部分が弧を描いてしまっていますが、
それなりに面白い写真になりました。


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サロン

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暖炉の部分に画面の継ぎ目が出てしまった。

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奥様の居間。

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此処も奥様の居間。

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当主の書斎。

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厚生室と説明にありましたが、お手伝いさん、使用人の部屋だと思います。

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by a7617 | 2012-02-27 17:50

公開講座

世界文化遺産「法隆寺」~世界最古の木造建築~その美しさ
と題する公開講座を聞いてきました。

法隆寺の話ここにあります。
場所は「浅野工学専門学校」講師は校長の「高橋 茂夫」先生 でした。

お話は
1、寺院の接し方、見学の仕方
2、法隆寺の
  (1)由緒
  (2)梅原 猛氏の「隠されて十字架 法隆寺論」お話によればどうも聖徳太子の怨念を封じ込めるために建てたらしいと・・
この本は図書館にありました、さっそく借りて読んでみます。

3、この後は先生のご専門の 法隆寺の建築についいて
  (1)中門 普通のお寺は奇数間口、法隆寺は正面4間の偶数間口。
     これは怨霊を中から出さないためとか。

  (2)金堂 皆さんご存知の エンタシス(胴張 徳利柱) パルテノンの神殿にあり
        シルクロードを渡り日本に渡来したがなぜか、中国、挑戦にはない。
        全体の作りは正面から見て二等辺三角形、安定と魔法である。
        裳腰があったために1300年も持ったと。
  
  (3)五重塔 逓減率1/2 一階の屋根の幅に対して五階の屋根の幅が1/2であり
         作らる時代がわかるとか。

また、救世観音についいても詳しいお話がありました。
そのほかに面白い?お話をたくさん聞かせていただきました。

知らなかった話を聞くとさまざまな、疑問や「知りたい」という
気持ちが出てきますね。


また帰りに学校の庭に咲いている水仙の花をもらいました。
有り難うございました、また機会があれば聞かせていただきます。





寒いのに上着を脱いで熱心に講演されていました。

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浅野総一郎さんの銅像です

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寒かったのでココアを飲んで帰りました。

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by a7617 | 2012-02-26 09:24

本を読んで 「昭和史の深層」  保坂正康 著

この方の著書は大方読んでいますが今回の本もユニークなことが書き連なっている。
この本の
第五章「太平洋戦争とその歴史的本質」の項の中で「太平洋戦争とは近代日本が行きついた
結果の自滅行為」と定義づけているがこの事に、諸兄も異論はないとおもいます。

太平洋戦争とはどのような見方をされてきたか。
1、自存自衛の戦争
2、東亜解放の戦争
3、典型的な侵略の戦争
4、強要された戦争
5、近代の清算の戦争
6、政治的な決断の失敗した戦争
7、民族解放戦争
等々様々な考え方があろうが太平洋戦争を一つの理論で語ろうと言うのがどだい無理な話であると
いう結論ですがもっともな意見でしょう。

その中で面白かったのは
最後の7項の民族解放戦争と言う見方ですが、あまり一般的には日本では語られないが。
以前読んだ本の中に「軍の上層部」「天皇の側近」に「共産主義者」が入り込んでいた
と言う記事を読んだ記憶を思い出した。

日本を社会主義的方向に目指すためにそれらの指導者が意図的に戦争に引き込み、そのプロセスで
革命と結び付けたり、あるいは天皇が主権国家の君主制国家を打倒して日本民族を解放するための戦争だったと言うのである。
この事は結果的に成功して日本は共産主義者がのぞむような政権に代わったのではないかと言うのである。
著者の保坂氏は1990年代に初めに、この話を、中国国民党の党務を1930年代に握っていた「陳 立夫」から見聞かされた。
彼は「日本の軍事指導部には必ず共産主義者が居たと思いますよ」といい「でなければ日本はあんなに成算もなしに中国に入ってくるわけがない。共産主義者は革命のために日本の政策をそちらの方向に引っ張っていったに間違いない」と繰り返したと言う。
保坂氏は、その確信がこの人物は単に中国の視点から言っているのではなく、20世紀前半の共産主義との戦いで人生を過ごしてきたことで得た確信であることに気が付いたと言っています。
保坂氏はこの見方を取ることができずに「日本の軍事組織に共産主義者が入りこむ余地は無かった」と言うと「陳立夫」は笑いながら
「もし実際にいたとしてもその名は決して表に出ないであろう」と言葉を濁した。

このくだりを読んで私はもし本当に軍上層部、例えば大本営、または天皇側近に共産主義者が居たとしたらと考えると実に何とも言えない不思議な思いにとらわれる。

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by a7617 | 2012-02-25 08:04

桜貝の歌



最高の歌と最高の歌手。
良い歌ですね。

ある青年が胸を病んで18歳で亡くなった恋人のために作った短歌から
彼の友人が作詞をしたといいます。
その作詞にその青年が作曲したのがこの桜貝の歌だそうです。

その青年が有名な「八洲秀章(やしま・ひであき)」です。
by a7617 | 2012-02-23 19:39

アゲクノハテ

「一生懸命やったのにアゲクノハテがこの有様だ」などの「アゲクノハテ」とは結局とか「その終わり」と言う事であるが、この言葉は「アゲク」と「ハテ」とを助詞の「ノ」で結び付けた言葉であると言う。
アゲクだけでも「いろいろ相談したアゲク決めたことだ」の様にも使われる。
「ハテ」の方は最後と言う意味である。
アゲクノハテとはアゲクを強めた意味であると言う。
ところでこの「アゲク」であるが連句に「挙句」と言う言葉がある。
連句の最初の句を発句と言うのに対して一番後の七七は「挙句」であるが「揚句」ともかく。
終わりにする句、仕上げる句と言う意味である。
つまり「揚句」とは一番後に在るものでありそこでこの事から「一生懸命努力したアゲクのような
使い方ができたのでしょう。
この言葉と同じ意味につかわれる言葉に「トドノツマリ」があるがこれはほとんどの場合は魚のボラと関係付けて説明されている。




歩道の敷石

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by a7617 | 2012-02-22 19:34

蝋梅

蝋梅を見てきました。


画面をクリックしてみてください、大きくなります。


蝋梅にはおおざっぱに言って三種類あるらしいのですが、植物音痴の
私にはどれがどれやらわかりません。

さまざまな蝋梅。


ここの蝋梅は全部濃い黄色ですが色もいろいろあるようですね。
蝋梅ひとつとっても奥が深いですね。



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by a7617 | 2012-02-21 05:18

観音崎散策


観音崎散策スライドショー
by a7617 | 2012-02-20 17:26

屈辱感

恩着せがましく育てられた人間は素直にならずに、自分の価値を相手に印象付けようとする。
例えば、事情があって他人に育てられ、その育てた人が「誰のおかげでメシが食える」と
恩着せがましく自分の恩恵を一方的に子供に売り込んだとする。
当然育てられる側は「自分は価値のない人間だ」と思いこむ。
こういう育ち方をした人が成人して人と付き合うようになってくると、
相手に自分が価値のある人間だと言う印象をつけようとする。
恩着せがましく育てられた人間の行動の隠れた動機はこの屈辱感なのである。
このような人間はなかなか他人と協力、妥協できない。
したがって組織の中で「困りもの」になってしまう。
また他人の優れた提案を受け入れない。
その提案を受け入れることが自分の心の底にある屈辱感を刺激するからである。
こんな人であれば「アイツと一緒に仕事をするのは嫌」だ」と言う事になる。


労働者の町、川崎、駅周辺の飲み屋の競争が
激しくなっています。
こういう値段で客を呼び込んでいます。
どんなものであろうが100円以下とは驚きですね。


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by a7617 | 2012-02-18 20:54

結構

おいしい物をごちそうになった時に「結構です」とか「結構でした」とあいさつする。
この事は大変おいしいですと料理を褒める気持ちの表現である。
ところが「もう沢山です」と言うときにも「結構です」と言う言い方をする。
一体もっと欲しいのか、欲しくないのかはっきりしない日本語のあいまいなところですね。

調べてみると元々は文章や建造物に対して組み立てや構造が優れている場合に「見事な結構」とか
「大変結構」「なかなか結構」と言って褒めてところから来たらしい。
有名な諺に「日光を見ないうちに結構と言うなかれ」と言うのがある。
この事は日光の東照宮を見ないうちに建造物についてあれやこれやいうな、と言ったものである。
その結構が「見事」「立派」の意味に転じてしまったのでしょう。
結構はまた「結構なお日和」とか「結構な身分」のように、いわば「喜ばしい」「羨ましい」の意味につかわれさらには「結構な人柄」のように気立てのよい人柄の意味につかわれてきだした。
今では「結構う間に合う」とか「結構楽しんでいます」の様にも使われるようにもなってきました。
言葉というものは時代が経ていくうちに、意味や使われ方が変わってきますね。

今日聞いた若者言葉
合コンで「蓮舫」と「工業高校」です。
意味は皆様で考えてみてください。




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by a7617 | 2012-02-17 17:27