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稲毛三郎重成の足跡を辿る 畠山重忠公ゆかりの地を行く  3/3

いつも、私のブログに訪問していただきましてありがとうございます。
明後日5月1日(金曜日)以降はライブドアブログに移行します
此処をクリックしてください。


http://blog.livedoor.jp/a7617a/

これからもよろしくお願いいたします。



「川崎市民アカデミー」 


講座川崎学まち歩きWS

畠山重忠公ゆかりの地を行く 三回シリーズの 三回目です。

地図の時計回りに歩きました。

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白根不動尊。

不動尊は、神社なのか仏閣なのか悩むところですが、
案内板を読むと、元お寺が神社として残っていると
かいてありましたので、神社にしましょう。
明治の神仏分離で神社にしたのでしょうね。

源氏に関わり合いのある神社です。
それとここの旧お寺を造ったのは鎌倉権五郎景政というのもすごいです。
平安時代の有名人の組み合わせで不動尊を祀ったと言います。

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逆に逆に歩いてきたので写真の順序が逆になりました。
この奥に上の写真の本尊が有ります。
ややこしくてすいません。

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散策の途中で見た藤の花。

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下白根に在る帷子川の分水路。

前方左に水門が見えます、ゲート部分が青色になっています。
此の水門はこの川が大水で危険になった時に此の水門から
トンネルを通じて横浜港に放流する水路です。

詳しくはこちらをどうぞ。

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帷子川親水緑道。
帷子川沿岸は急速な宅地開発と蛇行の激しい川筋で洪水被害が多かったそのため、
流れを直線に改修、後旧河川を利用して緑道を作りました。
おおざっぱな印象では、下が改修後の直線部分、上が改修前の流れを親水公園に

下イメージ図。

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親水公園の散策路を歩きました。
とてもいいところです、ハナミズキ、赤白が綺麗でした。

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この橋は渡れませんでした。

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ヤブデマリだと思いますが、間違っていたらお許しを。

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こんな道を歩きました。

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今回の散策の解散場所。
白根橋付近。
此処から相鉄線鶴ヶ峰はすぐそばです。

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此れで、鎌倉初期稲毛領主稲毛三郎重成の足跡を辿る。
小山田氏一族の興亡歴史を辿る。
畠山重忠 終焉の地めぐりを終わります。

案内をしていただいたまちだウオークガイドの会 近藤安雄さんをはじめ
同行し、いろいろと教えてくださいました、皆様有り難うございました。


なお、
余談ですが畠山一族に連なる小山田氏の一族はその後
様々な歴史の場面で出てきます。

例えば
新田義貞の鎌倉攻め・・・・・
湊川の戦い楠正成と一緒に討死・・・・
甲斐、武田家滅亡時に・・・
秀忠の隠し子預かり養育 「名宰相 保科正之」・・・

歴史と言うものは在る場面、時代だけで切り取って考えないで、
連綿と続いているのだということです。
by a7617 | 2015-04-29 08:54

稲毛三郎重成の足跡を辿る 畠山重忠公ゆかりの地を行く  2/3

「川崎市民アカデミー」 

講座川崎学まち歩きWS

畠山重忠公ゆかりの地を行く 三回シリーズの 二回目です。

此の地図の時計回りに歩きました。

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薬王寺の六つ塚見学して「駕籠塚」に行きます。
畠山重忠の内室(妻)「菊の前」は、合戦の連絡を受け、急ぎ駆けつけました。
しかし、この地で重忠戦死を聞いて悲しみ、自害しました。
その場所に駕籠ごと埋葬されたといわれています。

以前は、浄水場の中に周りを囲まれた大きな塚があったそうです。
昭和30年に場外に移され、その後、昭和49年に現在の姿に整備されました。

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駕籠塚を見て、横浜市鶴ヶ峰浄水所の脇を通ります。

この道のように見えるのは水路の(上水道道)です。
1200mmの水道管が此の下に通っています。
水路は上のリンクで確かめてください。


上の写真の上水道道を越えたあたりは展望は良く夕暮れ時の
丹沢の山並とみなと未来がとても綺麗に見えるといいます。
ランドマークタワーが見えました。

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急な階段を下って白根地区に進みます。
此処には図書館や地区センターが有ります。

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こんな茸を見ました。

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図書館や地区センターから、白根神社に降りる螺旋道路。

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白根不動、現在は白根神社となっておりますが、
地元では「白根のお不動さん」の愛称で親しまれています。
本尊は5年に1度開帳されます。

境内を流れる中堀川に大滝、谷間より流れ出る小滝の2滝があります。
小滝は行者の修業に使用されます。
大滝は、白糸の滝と呼ばれ、幅9m、落差5.5m、
横浜市内では唯一といわれた自然滝でしたが
侵蝕がひどく、昭和62年度より、修復工事が行われ新たな

白糸の滝の碑。

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白糸の滝(大滝)
浸食がひどいので石積にしています、修復したのですね。

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白糸の大滝の脇に万葉の碑が有ります。
武蔵国都筑郡の防人夫婦の歌が書かれています。

大意は
私の旅が胸を苦しくしたら、足柄山にひろがる雲を見ながら、しのんでくれ。

わが夫を筑紫へ旅立たせて、いとしいので帯は解かずに、あやしくもねることかなあ。

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白根神社は急な階段が有り、崩れかかっていた登るのが
禁止されています。

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その脇に「白根不動の竜神様」が有ります。

言い伝えによればむかしから龍は、このように清流を好み、
自分の好きなジュンサイをさがして、白根不動と峯の円海山を
行き来して、道行く人々を驚かせていたということである

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不動明王と行者の滝。

中堀川の大滝が白糸の滝で、この小滝が昔、行者の修行に使われたことから、
行者の滝と云われています。
細い樋から落ちている、水を滝と言うのはやや無理があるかな。

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by a7617 | 2015-04-28 07:43

稲毛三郎重成の足跡を辿る 畠山重忠公ゆかりの地を行く  1/3

「川崎市民アカデミー」


かわさき学 WS


表題の講座の三回目になります。
稲毛三郎重成の足跡を辿るは今回で終わりました


今回は相鉄線鶴ヶ峰周辺の史跡を訪ねます。

稲毛三郎重成の従兄弟の「畠山重忠ゆかりの地・白峰公園を付近を
散策いたしました。

写真は三回に別けて貼ります。

観光地図の一部をコピーしました。
下の鶴ヶ峰駅から時計回りに歩きました。

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出発点の相鉄鶴ヶ峰駅北口。

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繁華街を5分ほど歩くと「鎧の渡し緑道」に着きます。

以前は。帷子川はこの地を流れ川幅が広く、
武士がここを渡る時、鎧を頭にかざし川を越えたので
「鎧の渡し」と呼ばれていました。
近くに鎧橋として、橋名が残されている。

この写真の前方道路に鎧橋の地名が残っています。

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緑道を少し行くと標識が立っていました。
川原には井戸があり切られた畠山重忠の首を洗ったという
「首洗い井戸」があり川原に直径1メートルほどの穴があり
水が涌いていたが、今は埋め立てられている。

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首塚。

元久元年(1204年)重忠の息子の重保が北条時政の
後妻・牧の方の娘婿である平賀朝雅と酒席で争った。
この場は収まったが、牧の方はこれを恨みに思い、
時政に重忠を討つよう求めた。
翌・元久2年(1205年)時政は息子の義時・時房と諮り、『吾妻鏡』によると
二人は「忠実で正直な重忠が謀反を起こす訳がない」とこれに反対するが、
牧の方から問い詰められ、ついに同意したという。
 
元久2年(1205)鎌倉に異変ありという報で息子重保を
先に行かせたがだまし討ちに遭い、自らも菅谷(埼玉県)から
鎌倉に向かう途中、二俣川で北条氏数万と闘い、わずか134騎で
4時間に及ぶ激戦の末42歳で非業の最期を遂げた。

忠重公はこの付近で打ち取られ、遺体はこの場所に
葬られたという。

事件の背景には、武蔵武士団の首領である畠山氏と、
武蔵守である朝雅を後見する北条氏による
有力武蔵支配を巡る衝突があり、
また、時政の先妻の子・義時と、後妻の娘婿・朝雅の
北条家内の対立があったものと考えられる。

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重忠公逆さ竹。

重忠公は戦死の直前に「我が心正しかればこの矢にて
枝葉を生じ繁茂せよ」と矢箆を地に突きさした。
やがてこの矢は自然に根付き、年々2本ずつ生えて
茂り続けて「さかさ矢竹」と呼ばれるようになったという。

今見えるこの竹は
別な場所にあったが、全部涸れてしまった。

平成17年にこの地に植えたそうです。

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表示板の右側に見える竹がその「さかさ矢竹」です。

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散策中に見た「夕化粧」の花。

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帷子川に沿って歩きます。


帷子川本流の全域が神奈川県横浜市内を流れている。

もともとは蛇行の激しい暴れ川で水害の多い川であったが、
多くの地点で連綿と河川改良が進められた。

近年、川の直線化や護岸工事など大規模な改修が進められ、
西谷から横浜駅付近に流す地下分水路や、親水公園、川辺公園などが造られた。

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帷子川に注いでいた中小河川の名残、水はありません。

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矢畑・腰巻

北条方の放った矢が一面に突き刺さり、矢の畑のように
なったということから「矢畑」と呼ばれています。
また、このあたりで重忠公が取り囲まれたというので
腰巻と言うそうですが、矢が腰巻のように
ぐるりと取り巻いたという説もあるそうです。

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さらに薬王寺の六つ塚に行きました。

薬王寺は1205年(元久2年)6月22日、何度も書いていますが
北条時政の謀略によって武蔵国二俣川で討死した畠山重忠の霊堂。

境内には重忠をはじめ、一族郎党134騎を葬ったと伝えられている
六つの塚がある、これを六つ塚と呼んでいます。

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重忠公の物と思われる、塚。

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以下は家来のもの思われる塚。

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by a7617 | 2015-04-25 08:16

『河原の者・非人・秀吉』服部 英雄 著

豊臣秀頼は秀吉の実子ではない、物語の世界や俗説ではよく知られているが論証不能と言われたこのテーマに服部英雄・九州大学教授がこの本で科学的に解説してくれています。
秀吉は多くの妻妾を持ちながら子宝には恵まれなかった。
50歳を超えて側室の茶々との間にだけ早世した鶴松、次いで秀頼を授かっている。
秀頼については早くも江戸時代に、実父は大阪の陣で淀君母子に殉じた大野長治だとする説が広まった。
作家の司馬遼太郎なども非実子説に言及しているが、これらは憶測や俗説の域を出ていない。

そこで服部教授は秀頼の誕生日である文禄二年(2593年)8月3日から逆算して受胎が想定される前年の天正二十年11月4日前後に秀吉と茶々が同衾した可能性を検討してみた。
秀吉は同年10月1日に朝鮮出兵の基地・名護屋(佐賀県唐津市)に向け大阪城をたち、翌年8月まで滞在した。
秀吉の子を宿したとすれば、茶々も同行していなければならない。
その根拠とされたのが名護屋に従軍した平塚滝俊の日記にある「茶々が同行しているらしい」という記述だ。
しかしほかの多くの資料を再検討した結果、茶々の名護屋での存在を示すものはない。
名護屋城には側室・京極瀧子が滞在したことがはっきりしており、服部教授は「平塚の日記は瀧子を茶々と誤認したもの」と結論つけた。
そのほかに様々なことから秀頼は秀吉の子でないと科学的に結論つけている。

ならば何故秀吉は茶々を許し秀頼を実施と認めたのか。
教授はそれを「茶々はかっての主君織田信長の姪。織田家の覇権を簒奪した秀吉にとって自らを正当化するためにも、茶々が子を産むことが望ましかった」
これまで学会は秀吉が秀頼を実子と認めている以上、血のつながりにあまりこだわってこなかった。
しかし服部教授は史実の解釈に重大な問題だと説いています。
秀頼の誕生が、秀吉の後継者だった関白秀次の、失脚、自刃につながったと言われる定説。
関ヶ原の合戦で秀吉子飼いの武将の多くが東軍(徳川方)についた理由についても「背景には秀頼出生の正統性対する疑問があった」という視点で再議論、検討されるべきだと主張しておられます。
by a7617 | 2015-04-24 07:22

人生案内 受験勉強

本日の読売新聞の人生相談に面白い質問が出ていました。
受験勉強、なぜヤラナケレバいけないのでしょうか。
私の子供の時分い「学校の勉強など社会に出たらほとんど役に立たない」と言う
大人がいましたが、私はそんなことはないと今でも思って居ます。

以前、ソニーの盛田昭夫さんが学歴無用論を掲げましたがが、今では
この考え方、意見はどのように理解されているのでしょうね。

この回答者の鷲田清一(哲学者)さんと言う方は判りやすい解答ですね。

全文掲載します。



受験勉強の意味とは

高校1年の女子。志望校に落ち、なぜ受験勉強をしなくては
いけないのか疑問を持つようになりました。
努力は報われるという周囲の言葉を信じて、1年間勉強しました。
結果が出て思ったのは、なんか、ばかばかしいってことです。

中3になったとたん、親も先生も口出しを始め、勉強はするようになったけれど、
多分気持ちがついていかなかったのだと思います。
結果を出さなければ、勉強したうちに入らないと多くの人に言われましたが、
それは結果のために勉強しているってことなんでしょうか。
1回きりのペーパーテストで未来が変わるのはおかしい気がします。

受験勉強より、人と話し、芸術に触れ、旅でもしたほうが、
感情豊かで深みのある人間になれると思います。
政治家の悪いニュースをよく見ますが、たとえ東大を出ても
常識がなければ、人に尽くせる人間にはなれないと思います。
なんで受験勉強をしないといけないのですか。
(京都・J子)

                  ◇

「しかたがないから」「しなければならないから」という以上の
理由をもっている受験生は少ないと思います。
ほとんどの人は「内なる」理由をもたずに、とにかく一つでもいい大学に
入ろうと受験勉強をしている。

大学に入ることが目的なのではなくて、何かまだ見えていない
目的を果たすためにも、まずはそのことにきっと有利に
はたらく大卒の資格を取っておかなければ、という理由です。

でもそういう人たちにも、いずれ、自分はいったい何がしたいのか、
すべきなのかという問いと向きあう日が訪れます。
その日があなたには人より先に来ましたね。

受験勉強は手段です。でも勉強はもっと大きなものです。
自分が歴史のどういう段階にいるのか、世界情勢、
社会情勢のどのような位置にいるのか、それを探り、
そして何をすべきか、何ができるかを知るために、
つまるところ自分がいま立っている場所を知るために、
先達の探究から学ぶというのが、勉強する理由だとわたしは思います。
いま、あなたはその問いに向き合っている。大事な時間です。
                            
                          鷲田清一(哲学者)





写真の説明
本文とは関係ありません。
二人いる孫、下の孫は今年高校生になりました。

このご飯茶碗、左が私、右が孫のもの。
私は軽く一杯、孫は我が家に来ると「あ~腹減った」と言いながら
この茶碗に大盛り二杯食べます。

吃驚したり、うれしくなったりです。

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by a7617 | 2015-04-22 08:50

横浜公園のチュ-リップ

横浜公園のチューリップを見ました。

花の盛りは過ぎていましたが、それでも十分に楽しむことができました。

この写真は4月17日のものです。

夫々に名前が有りますがひとくくりにして「チューリップ」でいいでしょう。


これは赤レンガ倉庫脇。

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此処から横浜公園。

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これはチューリップではありません。

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by a7617 | 2015-04-21 07:49

稲毛領主 稲毛三郎重成の足跡を辿る (国分寺)

「川崎市民アカデミー」



講座川崎学まち歩きWS

今回のまち歩きは、鎌倉時代の武将「畠山重忠」の関連場所と
国分寺付近を散策いたしました。


畠山 重忠(はたけやま しげただ)は、平安時代末期から鎌倉時代初期の武将。
鎌倉幕府の有力御家人。

源頼朝の挙兵に際して当初は敵対するが、のちに臣従して治承・寿永の乱で活躍。
知勇兼備の武将として常に先陣を務め、幕府創業の功臣として重きをなした。

館は、鎌倉筋替橋の東南。

存命中から武勇の誉れ高く、その清廉潔白な人柄で「坂東武士の鑑」
と言われていた立派に人物であったという。

しかし、頼朝の没後に実権を握った初代執権・北条時政の謀略によって
謀反の疑いをかけられて子とともに討たれ(畠山重忠の乱)、子孫は名字を変えた。

この様に、頼朝以来の功臣、有力武将は北条幕府による謀略によって次々と
滅ぼされていった。



と言う話を前提にして散策をいたしました。
また、「国分寺」 、 「東山道武蔵路」についても勉強いたします。



出発、集合場所は西国分寺駅
そこから歩いて10分ほどのところに在った、「姿見の池」

源平争乱の頃、遊女の夙妻太夫(あさづまたゆう)と坂東武者で名将といわれた
畠山重忠とが恋におちました。ところが太夫に横恋慕、する一人の男がいて、
その男は重忠が平家との西国の戦で討ち死にした嘘をつき、
あきらめさせようとしましたが、深く悲しんだ太夫は姿見の池に
身を投げてしまったと言い伝えられています。

そ言う伝説からこの付近を「恋ヶ窪」と言う地名になっています。

この池は後から作られたものです。
このように伝承に彩られた姿見の池は、昭和四十年代に埋め立てられましたが、
平成十年度、「そんな良い伝承があるのなら」と昔の池をイメージして整備しました。

もっと言えば別の場所に在ったそうです。

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この表示を見るとこの池がここの無かったと想像する人はいませんね。

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池に水を引き入れている恋ヶ窪用水。
草に埋もれて、流れが見えない。

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「一葉(ヒトハ)の松」伝説。
姿見の池に身を投げた夙妻太夫(あさづまたゆう)を憐れんだ
土地の人が供養のために松を植えました。
なぜかその松の葉は、対に出ていないで一本しかなかったといいます。
またその松の葉はすべて西の方を向いていたという伝説があります。
その松のある「東方寺」
鎌倉時代に在ったものとしては小ぶりですね。

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府中街道に在ったベニバナトキワマンサク。
此の辺りはこの木の並木道になっています。

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市立歴史公園にある「史跡東山道武蔵路」
この通りは公道としても利用されています。
なぜこのような道が必要であったのでしょう。

説明版より。
東山道武蔵路は古代官道である東山道が上野国から武蔵国府に立ち寄り、
再び下野国に戻る支道で、当時駅路と呼ばれる道で、
現在一般に武蔵国を通る東山道の支道ということで「東山道武蔵路」と
呼ばれている道なのです。
以前は古代の道といえば自然発生的な道を多少発展させた程度の
道と考えられていましたが、近年の考古学の道路発掘の進展により、
側溝をともなった幅広の直線道路であることが判明してきています。
国分寺市の旧国鉄中央学園跡地内から340メートルにも及ぶ遺構が発掘され、
指定地区では総延長約490メートルにわたり道路遺構が確認されているということです。
国分寺市のこの道路遺跡は古代道路の研究に新たな道路変遷の遺構を検出しています。

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中世の東海道。
私は東海道とは江戸から京都までだと思って居ました。
当時の東海道とは今の茨城県付近までを含んで居ました。

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大きく、詳しく書かれた立派な説明版。

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東山道武蔵路跡を見学、解説を聞いた後「都立武蔵国分寺公園」の中を通りました。
桜「ウコン」です。

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八重の桜です、名前は判りません。

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公園を抜けて「国分寺崖線」を見ます。
何度も来ている場所です、相変わらずきれいな水が湧いていました。

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その湧水の脇に「真姿の池」が有ります。

848年、玉造小町という美しい女性が病気にかかり顔が腫れ醜くなってしまったが、
国分寺の薬師如来で願をかけると、この池で身を清めるようにとのお告げがあり、
その通りにするとたちまち病気が治り、もとの美しい顔に戻ったという。

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さらにお鷹の道から国分寺に向かいます。

その名は国分寺周辺が江戸時代に尾張徳川家
の御鷹場となっていたことに由来します。

ちなみに
三鷹の名は、かつて徳川将軍家及び御三家が鷹狩を行なった
鷹場の村々が集まっていたことと、世田谷領・府中領・野方領に
またがっていたことに由来する(三領の鷹場)と言われている。

お鷹場になった村々の負担は大変なもので有ったらしい。
獲物がないと殿様や将軍が不機嫌になるので、鷹狩があると聞くと
村々の人はあらかじめ獲物を用意しておいたという。

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「武蔵国分寺跡資料館」の敷地の中に在る七重の塔の模型。

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現在の国分寺。

奈良時代に聖武天皇の詔により日本各地に建立された国分寺のうち、
武蔵国国分寺の後継寺院にあたる。

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現在の楼門。

此の楼門は米津寺(東久留米市)の楼門を明治28年に移築したもの。
市の文化財に指定されている。

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国分尼寺の跡地。

「尼寺」は東山道武蔵路の西側に建立されました。
現在は史跡の保存整備も終了しています。
平成19年「日本の歴史公園100選」に選定されました。
桜の時期は綺麗でしょうね。

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宿坊跡。

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武蔵国分尼寺を見学してから。
「伝鎌倉古道」を歩きました。



鎌倉時代に、幕府所在地である鎌倉と各地を結び、
周辺諸国の武士団や物資を運ぶ幹線道路 が整備されました。



現在の「鎌倉街道」の名は、近世になって使用されたものであり、
鎌倉当時は武蔵国内を通過する主要道路は上の道、中の道、下の道と
呼称されてい ました。鎌倉以前の幹線道路である東山道と
道筋の重なる「上の道」が、現在の鎌倉街道にあたります。

鎌倉から町田・府中を経て、国分寺市内の
武蔵国分尼寺跡西側-泉町交差点付近-小平を通り、
上野(群馬県)、信濃(長野県)方面に のびており、
市立歴史公園(武蔵国分尼寺跡)の北側に約120mの道が
「鎌倉上道」の名残と云われて保存されています。

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この鎌倉街道の脇に何に使われていたのか判らない塚が有ります。
登ってみました 。

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塚の上から国分寺方面が良く見えます。

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本日の散策の解散地 国分寺駅。

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今回の散策は稲毛三郎重成と同時代の畠山重忠について、
またお鷹の道の由来、武蔵国分寺、尼寺、について勉強いたしました。

印象が強かったのは様々な古道が有ったことや東海道、私の認識と
大きく違っていたのに驚きました。
武蔵野国が想像するより大きかったこと等々、新しい発見が有りました。

今回も同行して様々な事を解りやすく教えていただいた
皆様、ありがとうございました。
by a7617 | 2015-04-20 10:32

好き嫌い

人の、信頼関係に好きか嫌いかと言う事は大変重要な事です。
「喉が渇いたジュース勝ってきて」と人に云われた時、それが好きな人の言う事なら
「OK」と素直に返事が出来ますよね。
しかし苦手な人、嫌いな人なら「え?」となってしまいます。

そもそも好きか嫌いかとはなんなのでしょうか?
我々の良くないところは、何となく第一印象で「あ、この人とは合わない」と距離を作っている事です。
以前言ったかもしれないが人は経験から物事を判断します。
だから相手の事を良く知りもしないのに「あの人は嫌い」「この人は好き」と勝手に判断します。
自分と近い環境にいたり趣味や感覚が合う人は好きなひと。
自分と違う環境や趣味が合わなかったりすれば、嫌な人になる。

良く考えてみればわかるが、人間の世界は好きか嫌いかで分けられるほど単純なものでは在りません。
好きと言う気持ちはいいかもしれませんが嫌いと言う気持ちを持っているだけで随分と
損をしているかもしれない。
そこで仮に嫌いな人をどうしたらその人への嫌悪感を忘れられるでしょう。
いろいろ考えてみたがこれは難しいね。
やはりなるべく接していくと言う事も大事でしょう。
だって言うでしょう「馬には乗ってみよ、人には沿ってみよ」ってね。
要は接することで心のバリアを取り除いていきその人の事を理解していくことが必要ではないのかな。
此処で大事な事は「その人の事を理解していくと、より好意を持つようになる」と言う事です。

私の経験では、なぜか苦手な人が居たが、ある時重い病気になり入院手術をした。
嫌いな人だった人だったが、「ざまー見ろ」と言う感情はわかずに、この時なぜか「可哀そうに」と言う気持ちになってしまった。
お見舞いに行こうと決心し果物をもっていきました。
行ってみると、とても喜んでくれました。
病状と手術の話、入院中のおかしい様々な話をしてくれました・・・・
その方が退院してからは私に対する態度ががらりと変わり「Y君・Y君」と様々な場面で
助けていただきました。
大袈裟な云い方をすれば私の人生が豊かになったのです。



写真説明
川崎出身の歌手「坂本 九」さんの顕彰碑ができました。
JR川崎駅前広場、鶴見側のタクシー乗り場の左側です。

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by a7617 | 2015-04-18 08:57

泉の森・ふれあいの森  2/2

泉の森・ふれあいの森散策続きます。




無残にも虫に食われた木の葉。
サンゴジュハムシと言うらしい。
5~6月に出現し、茎の中に卵を約10個産み、その表面を糞で塗布します。
卵で越冬し、初春から幼虫は新芽を食べて成長し、
羽化後は成虫も同じく葉を食害して穴だらけにします。

幼虫は葉脈を残して食べるため、この様に透明な網目状の食痕を残します。

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タチツボシミレ。
日本のスミレ属は種類が多く、さまざまなものが各地に見られるが。
日本を代表するスミレがタチツボスミレである。

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同じタチツボスミレ、蕾。

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タチツビヒゴスミレ。
日本にはスミレの仲間は変種を含めれば50種~70種にも及ぶと言われ、
見分けるのも大変です。

葉に細かく裂れ込みが入るスミレの仲間です。


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一輪草。
一輪草、二輪草の違い。

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踊り子草。
似たような言い方の花に「姫踊り子草」があるが背丈・葉や花の大きさ
とも半分以下で小さいため「姫」の名を冠して呼ばれる

高さは30~50cmくらいになる。葉は対生しその形は
卵状3角形から広卵形で上部の葉は卵形で先がとがり
縁は粗い鋸歯状になり、基部は浅心形で葉柄がある。

花期は4~6月で、唇形の白色またはピンク色の花を、
数個輪生状態になって茎の上部の葉腋に数段につける。
花のつき方が、笠をかぶった踊り子達が並んだ姿にている
ことからこの名がついた


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ヤマブキソウ
山吹草、落葉樹林やまばらな常緑樹林の中や縁など、林内でも
比較的明るい場所に生活する植物です。
群落を形成することが多く、単体で見ることは少ないです。
本州から九州に分布しますが、野生はめっぽう数が減少しており、
自治体によっては絶滅危惧種に指定されていることもあります。

花姿がヤマブキに似ており、草なのでヤマブキソウの名前がありますが
ヤマブキとは科も違い分類上縁はありません。

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山吹草
この様に群生しています。

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げじげじシダ。
夏緑性のシダ植物。
路傍などに生育する。羽片は交互に出て、基部が中軸に流れて
翼となるので、全体から見ればジグザクに見える。
その形がゲジゲジに見えるからでしょうか。
ゲジゲジというより、ジグザクシダと言いたい様な形で、わかりやすい。

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アスカイノデ。
今までも至る所にあったはずだが、ほとんど
気に留めていなかった羊歯。

葉表面は深い緑色、著しく光沢がある。
小羽片の鋸歯の先は芒状になる。
分布は近畿南部以北東の本州、四国の暖地の海岸近くの低山地林。

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クロモジの花芽。
黒文字の名は若枝の表面にでる斑紋を文字に見立てたものといわれる。
古くからこれを削って楊枝を作る。特に根本に皮を残すのが上品とされる。
現在でも和菓子など特に選ばれたところではクロモジの楊枝が使われる。

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綺麗に咲いたチューリップ。

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此れで泉の森・ふれあいの森散策を終わります。

いつも、いろいろな事を教えていただいて居ます同行の皆さん
有り難うございました。
by a7617 | 2015-04-17 07:47

泉の森・ふれあいの森  1/2

表題の公園 散策に行ってきました。

昨年の秋にも行きましたが、時期が違えば見る花も違って
居ますので期待していきました。

当日(4月14日火曜日)はあいにくの雨模様、一日中小雨が降ったり
止んだりの天気でしたが、楽しくいってきました。

写真は二回に別けて貼ります。



マンホールの蓋。

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ツユクサ。
露草、一年生植物。
畑の隅や道端で見かけることの多い雑草である。

朝咲いた花が昼しぼむことが朝露を連想させることから
「露草」と名付けられたという説がある。

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コデマリ。
花が咲いているときには「コデマリ」だとすぐにわかりますが
蕾ですとわかりにくいね。

小手毬、バラ科シモツケ属の落葉低木。別名、スズカケ。
中国(中南部)原産で、日本では帰化植物。


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カラタチ。
枳殻、枸橘漢字ではこう書きますが難しい字ですね。
原産地は長江上流域。
日本には8世紀頃には伝わっていたとされる。
カラタチの名は唐橘(からたちばな)が詰まったもの。

花のあとには3-4センチの球形で緑色の実をつける。
秋には熟して黄色くなる。
果実には種が多く、また酸味と苦味が強いため食用にならない。
花と果実には芳香がある。

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カロライナジャスミン。
生育旺盛で長くつるを伸ばし、春にラッパ状の黄色い花を株いっぱいに咲かせます。
花にはジャスミンに似た芳香がありますが、ジャスミンの仲間ではありません。

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ノースボール。
12月から翌6月にかけ、この様な花を咲かせる
キク科 フランスギク属の半耐寒性多年草である。
しかし、高温多湿に極端に弱いため、国内では一年草として扱われている。
「ノースポール」はサカタのタネの商品名であるが、
種苗登録などはされていないため、一般名として定着している。
名の由来は、花付がよく株全体を真っ白に覆うように見えるところが北極を連想させることによる。

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白花蘇芳。
花蘇芳には、真っ白な「白花蘇芳」というのがこれです。
あまり見かけませんね。

蘇芳色(すおういろ)と言う言い方が有ります、赤やピンクを表す日本の呼び方の一つです。
紫がかった赤を指す名称のようですが、まさに、「花蘇芳」の花の色です。
其の「蘇芳色」の染料は、「蘇芳」の樹皮や実を用いているそうです。
花からではなく、樹皮や実からとった色が、布や紙を「蘇芳色」に染めるそうです。

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藤棚とチューリップ。

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ウラシマソウ。
浦島草、春、太い花穂が伸びてくる。
 花穂から伸びる、細長いひょろひょろを、浦島太郎の釣り糸に見立てた野でしょう。
秋に赤い実をつける、有毒ですが食べる人はいないでしょう。

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by a7617 | 2015-04-16 20:03