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稲毛三郎重成の足跡を辿る 畠山重忠公ゆかりの地を行く  1/3

「川崎市民アカデミー」


かわさき学 WS


表題の講座の三回目になります。
稲毛三郎重成の足跡を辿るは今回で終わりました


今回は相鉄線鶴ヶ峰周辺の史跡を訪ねます。

稲毛三郎重成の従兄弟の「畠山重忠ゆかりの地・白峰公園を付近を
散策いたしました。

写真は三回に別けて貼ります。

観光地図の一部をコピーしました。
下の鶴ヶ峰駅から時計回りに歩きました。

d0031171_19302687.jpg




出発点の相鉄鶴ヶ峰駅北口。

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繁華街を5分ほど歩くと「鎧の渡し緑道」に着きます。

以前は。帷子川はこの地を流れ川幅が広く、
武士がここを渡る時、鎧を頭にかざし川を越えたので
「鎧の渡し」と呼ばれていました。
近くに鎧橋として、橋名が残されている。

この写真の前方道路に鎧橋の地名が残っています。

d0031171_754323.jpg



緑道を少し行くと標識が立っていました。
川原には井戸があり切られた畠山重忠の首を洗ったという
「首洗い井戸」があり川原に直径1メートルほどの穴があり
水が涌いていたが、今は埋め立てられている。

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首塚。

元久元年(1204年)重忠の息子の重保が北条時政の
後妻・牧の方の娘婿である平賀朝雅と酒席で争った。
この場は収まったが、牧の方はこれを恨みに思い、
時政に重忠を討つよう求めた。
翌・元久2年(1205年)時政は息子の義時・時房と諮り、『吾妻鏡』によると
二人は「忠実で正直な重忠が謀反を起こす訳がない」とこれに反対するが、
牧の方から問い詰められ、ついに同意したという。
 
元久2年(1205)鎌倉に異変ありという報で息子重保を
先に行かせたがだまし討ちに遭い、自らも菅谷(埼玉県)から
鎌倉に向かう途中、二俣川で北条氏数万と闘い、わずか134騎で
4時間に及ぶ激戦の末42歳で非業の最期を遂げた。

忠重公はこの付近で打ち取られ、遺体はこの場所に
葬られたという。

事件の背景には、武蔵武士団の首領である畠山氏と、
武蔵守である朝雅を後見する北条氏による
有力武蔵支配を巡る衝突があり、
また、時政の先妻の子・義時と、後妻の娘婿・朝雅の
北条家内の対立があったものと考えられる。

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重忠公逆さ竹。

重忠公は戦死の直前に「我が心正しかればこの矢にて
枝葉を生じ繁茂せよ」と矢箆を地に突きさした。
やがてこの矢は自然に根付き、年々2本ずつ生えて
茂り続けて「さかさ矢竹」と呼ばれるようになったという。

今見えるこの竹は
別な場所にあったが、全部涸れてしまった。

平成17年にこの地に植えたそうです。

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表示板の右側に見える竹がその「さかさ矢竹」です。

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散策中に見た「夕化粧」の花。

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帷子川に沿って歩きます。


帷子川本流の全域が神奈川県横浜市内を流れている。

もともとは蛇行の激しい暴れ川で水害の多い川であったが、
多くの地点で連綿と河川改良が進められた。

近年、川の直線化や護岸工事など大規模な改修が進められ、
西谷から横浜駅付近に流す地下分水路や、親水公園、川辺公園などが造られた。

d0031171_895371.jpg



帷子川に注いでいた中小河川の名残、水はありません。

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矢畑・腰巻

北条方の放った矢が一面に突き刺さり、矢の畑のように
なったということから「矢畑」と呼ばれています。
また、このあたりで重忠公が取り囲まれたというので
腰巻と言うそうですが、矢が腰巻のように
ぐるりと取り巻いたという説もあるそうです。

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さらに薬王寺の六つ塚に行きました。

薬王寺は1205年(元久2年)6月22日、何度も書いていますが
北条時政の謀略によって武蔵国二俣川で討死した畠山重忠の霊堂。

境内には重忠をはじめ、一族郎党134騎を葬ったと伝えられている
六つの塚がある、これを六つ塚と呼んでいます。

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重忠公の物と思われる、塚。

d0031171_8142088.jpg



以下は家来のもの思われる塚。

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d0031171_19511692.jpg



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by a7617 | 2015-04-25 08:16